2024.09.21 Sat.

永井玲衣『水中の哲学者たち』読了。連れ合い(哲学科卒)が購入してずっと読んでみたいと思っていたのだが、「哲学」という言葉の取っ付きにくさからなんとなく敬遠してしまっていた。読み始めてみると想像していた内容とは違って、自分の身の回りに近い話で、ぐいぐい読み進めてしまった。以下の文章が特に好きだ。
ある哲学者は、哲学することの根源は「驚異と懐疑と喪失の意識」であると言った。
人は、びっくりしたりつらいことがあったりすると、「なんで?」と自然に問うてしまう。 要するに、「は?(驚異)マジで?(懐疑)つら(喪失)」から哲学は始まるのだ。(「爆発を待つわたしたちの日常について」より引用)
小学生と哲学対話を行うと、子どもたちが考えたい問いとして一番に挙がるのはいつも「生きる意味」なのだそう。「死んだらどうなるのか」といったテーマの対話についても記されていた。どうして他者の人生を生きれないのか、ノストラダムスの大予言への畏怖、死後の世界はあるのか、確かに小学生くらいのときはよく生死にまつわることを考えたり怯えたりしていたような気がする。わたしの場合、飼っていた犬が亡くなった途端に死ぬことが怖くなくなった。死んだ後に何かあるなんてことは考えていないし、どのような手順を踏むのかは予想もつかないが、最終的には同じ場所にいけるのだと漠然と信じている。
七年ほど前に祖母が亡くなる前、死んだらお棺に祖母の父(わたしからすると曽祖父)・母・弟の写真を入れて一緒に燃やしてくれと言われた。向こうで会えるように、と。「じいちゃん(夫)のは?」と聞くと、要らないと言われた。その真意はなんとなく聞くことができなかった。葬式のとき、お棺に入った写真で初めて自分の曽祖父母の顔を知った。再会はできただろうか。上手くいったならわたしも犬の写真を印刷しておくので教えて欲しい。
続いて、連れ合いの部屋にあった遠藤周作『深い河』を読み始めた。まだ序盤なのだが、こちらも「死」が大きなテーマとしてあり、『水中の哲学者たち』を読みながら考えていたことの続きのようですっと入ることができた。