(almost) daily corleonis

2025.03.20 Thu.

南アルプス

この冬は全く雪が降らず、もしかして降らないまま季節が変わってしまうのかな、なんて思っていたが、3月に入ってから思い出したように降り始め、18日の夜からの雪は、今季一番の積雪となった。

今朝は快晴。降り積もった雪の白さが、南アルプスの峰々をいっそう際立たせている。散歩の途中、あまりに美しい景色に何度も足を止めた。冷えた空気を吸い込みながら、しんと静まり返った雪の世界を歩くのは、なんとも清々しい。

とはいえ、雪が降るということは、雪かきをしなければならないということでもある。不思議なことに、大雪のときに限って連れ合いは不在で、今日もひとりで3時間ほど雪かきをした。生活動線を確保するためだけでなく、なかなか溶けない場所の雪を移動させるのも大事な作業だ。

クタクタになったところで作業を終え、珈琲を淹れる。湯気の向こうにまだ白く光る庭の雪をぼんやりと眺めながら、Netflixドラマ『阿修羅のごとく』(是枝監督)の続きを観る。今日で最終話まで観終え、余韻のままWikipediaを開くと、この作品が過去に何度も映像化・舞台化されていることを知る。それぞれの時代の4姉妹のキャストがまた絶妙で、思わず唸る。それにしても広瀬すずの声は良いなぁ。

2025.03.13 Thu.

春の気配がじわじわと広がる、暖かい日。3月に入ってからすでに飛ばし気味で働いていたので、今日は少し早めに仕事を終えて、長めの散歩でもしようかなと思っていたところ、友人から突然「これから会わない?」との誘い。用事で出かけていたが、帰り道の途中に私の家があるので声をかけてくれたようだ。絶好の機会なので二つ返事でOKし、少し部屋を片付けながら到着を待つ。

白い柴犬とともに現れた友人は、相変わらず軽やかな雰囲気だった。最近、私は犬を飼いたい欲が高まっていて、犬との暮らしについていろいろ質問する。犬と遊びつつゲラゲラ笑ったり、持ってきてくれたケーキを一緒に食べたり。最後には散歩に出かけ、そのまま解散となった。

彼女とは京都に住んでいた頃に知り合い、当時は少し面識がある程度だった。それが最近、私の住む場所からそう遠くないところに引っ越してきたと知り、久しぶりに連絡を取ってみたのだった。

今後ちょっと会える機会が少なくなりそうで、別れ際にハグをしたとき、心から健康と幸せを願った。湿っぽくはならず、また軽やかに車を走らせて帰って行った。

最近じゃ1年に1回会っていれば"わりと会っている方の友達"という感覚だ。でもSNSがあるおかげで、何年も会っていなくても、お互いの近況を知ることができる。子どもが生まれた、起業した、引っ越した、というようなライフイベントから、美味しいカレーを食べた、面白い看板を見つけた、新しいスニーカーを買った、そんなささやかな日常まで。

生活は続く。それぞれの場所で、それぞれの時間が流れていく。たとえ道が交わらなくなっても、どこかで誰かの暮らしが続いていると思うと、不思議と心が温かくなるし、幸せを願わずにいられない。

2025.01.05 Sun.

発熱からはじまった冬休みだったが、結局ずっと熱が下がらず、ほとんど寝ているだけで終わってしまった。頭痛が寝すぎによるものからなのか、発熱から来ているのかもはやわからない。唯一本だけは読んだのでその記録。9日で7冊。

文フリで御本人より購入。日記本だが、自分が今イレギュラーな日々を過ごしていることもあり、何気ない毎日への愛おしさを感じる。

こちらも文フリで購入。自分ではおおよそ手に取らないような本の書評が特に面白い。2025年は普段読まないようなジャンルの本も読みたい所存。

友人から借りたもの。文章の美しさを楽しみつつ淡々と読み終え、あとがきを読んだら自分の認識を超えた内容が書いてあり、そのままもう一度読み直した。2度目でようやく理解。

Q&A形式で進むので、わたしのような漫才に対して疑問しかないような人間もさくさく読み進めることができた。

村井理子さんと飼い犬であるハリー(ラブラドール・レトリバー)との日々の記録。ハリーは去年癌で亡くなってしまったのだが、その事実を知りながら読んだので、笑えるような描写でも切なくなってしまった。犬と暮らすことを日々夢見ているが、飼う前から別れることが辛い。

元スピードスケート選手である小平奈緒さんの自伝。文章から彼女の真面目さや真摯な姿勢がひしひしと伝わってきた。

第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所へ送られた体験を綴った一冊。収容所での出来事というよりも、極限状態の中でどんなことに絶望し、どんなことに希望を見出したかなどが心理学者の目線で記されている。オールタイムベスト本に挙げる人も多く、ずっと読みたいと思っていたのだがようやく。

積み本のおかげで読む本には困らず。はやく元気になって美味しいものでも食べに出かけたい。

2024.12.31 Tue.

冬休み初日、発熱。以降今日まで4日間、何もなし得ていない。まだ熱も下がっていないし、なんなら今日が一番体調が悪い。特別予定があったわけではないのだが、連れ合いと出かけたり、ポテチでもつまみながら深酒したり、調子に乗って朝までゲームをしたり、ときには勉強をしたりするつもりではあったのだが、冬休みも前半戦が終わろうとしているのに、ただただぼーっとしてWikipediaのページをひたすら徘徊したりしていた。(ちなみにわたしは世界で過去に起きた事件に関するWikipediaを読むのが好きだ。例:アメリカ合衆国の事件 (1945年-1989年)

思い返せば今年の下半期はよく風邪をひき、7, 8, 11, 12月とこれで4回目である。20代の頃は一度も風邪をひいたことがなく、体温計すら持っていなかったのに。なぜこんなに風邪をひきやすくなったのかと考え、「痩せすぎなのでは?」と連れ合いに話したところ、「有酸素運動(= 基礎代謝、心肺機能の向上)が足りない」とのこと。来年は踏み台昇降でもやってみるべきか。

2024年は転職という大きな転機があり、職種が変わったことも相まって、自分の興味関心も大きく変化した一年だった。これまでは少人数の会社だったこともあり個人プレーも多かったが、今はチームに属しているという感覚がある。microCMSというプロダクトも、そこで働く人も環境も大好きなので、多くの方に使っていただけるよう引き続き頑張っていきたい。

今年読んだベスト本:岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』
(ちなみに2023年ベスト本は大崎清夏『目をあけてごらん、離陸するから』
2022年ベスト本は滝口悠生『長い一日』


今年聴いたベストアルバム:柴田聡子『Your Favorite Things』
(次点:MJ Lenderman『Manning Fireworks』

みなさまよいお年を。

2024.12.21 Sat.

先日、大江戸線のとある駅に降り立つと、改札までの道がM-1の広告で埋め尽くされていた。わたしは漫才というものに疎く、さらに言えば苦手意識すらある。嫌いというわけではないが、正直「よくわからない」のだ。

関西の大学に入学してすぐのこと、芸人が教室で漫才を披露するというイベントがあった。興味本位で見に行くと、やってきたのは千鳥。その時点で教室の生徒たちは大盛り上がり(わたしは彼らの存在すら知らなかった)。ノブがツッコむたびに拍手と笑い声が沸き起こり、立ち上がって盛り上がる人もいた。その熱気についていけず、わたしは終始ポカンとしていた。

漫才がよくわからない理由は、自分の中で理屈が落とし込めていないからなのかもしれない。「面白い」か「面白くない」かの判断すらできない。そうして次第に苦手な領域となり、飲み会などで漫才の話題が出るといつも「へ〜、今度見てみるわ」と言ってやり過ごしてきた。まさに臭いものに蓋をしてきた状態だ。

我が家では、ここ1年ほどまとまった時間があるとM-1グランプリを遡って観ている。漫才といえど、M-1が面白いと感じるのは、そこにドラマがあるからだ(オリンピックのときにだけ柔道や体操などを観る感覚に近いかもしれない)。2022年から視聴し始め、2008年のNON STYLEが優勝した回まで観終えたところだった。

そんな折、連れ合いがNON STYLE石田さんによる書籍『答え合わせ』を買ってきた。石田さんが「漫才論」について語り尽くした一冊らしい。「M-1の前に読んだほうがいい」と勧められたため、前日である今日、一気読みした。

漫才とはそもそも何なのか。どんな漫才が優れているのか。賞レースではどんな基準で点数が決まるのか。2023年の最終決戦組(令和ロマン、ヤーレンズ、さや香)のスタイルとは。笑い飯は何がすごいのか。これまで理解できなかったことが詰まっていて、一気にブレイクスルーした感覚を得た。

中でも目から鱗が落ちたのは、冒頭に書いてあった「漫才の基本は『偶然の立ち話』である」という点。そこからさまざまな方向へ展開されるものの、そもそもは「とある2人がたまたま会ってしゃべり始める」のが漫才らしい。過去のM-1決勝戦についても具体例が散りばめられており、観直していたおかげで記憶が鮮明なまま楽しんで読むことができた。

今は明日が待ち遠しくて仕方ない。フラットな気持ちで漫才を観ること。そして、自分が感じたことをもとに、後日石田さんによる解説で「答え合わせ」をすることが今から楽しみだ。