(almost) daily corleonis

2024.12.21 Sat.

先日、大江戸線のとある駅に降り立つと、改札までの道がM-1の広告で埋め尽くされていた。わたしは漫才というものに疎く、さらに言えば苦手意識すらある。嫌いというわけではないが、正直「よくわからない」のだ。

関西の大学に入学してすぐのこと、芸人が教室で漫才を披露するというイベントがあった。興味本位で見に行くと、やってきたのは千鳥。その時点で教室の生徒たちは大盛り上がり(わたしは彼らの存在すら知らなかった)。ノブがツッコむたびに拍手と笑い声が沸き起こり、立ち上がって盛り上がる人もいた。その熱気についていけず、わたしは終始ポカンとしていた。

漫才がよくわからない理由は、自分の中で理屈が落とし込めていないからなのかもしれない。「面白い」か「面白くない」かの判断すらできない。そうして次第に苦手な領域となり、飲み会などで漫才の話題が出るといつも「へ〜、今度見てみるわ」と言ってやり過ごしてきた。まさに臭いものに蓋をしてきた状態だ。

我が家では、ここ1年ほどまとまった時間があるとM-1グランプリを遡って観ている。漫才といえど、M-1が面白いと感じるのは、そこにドラマがあるからだ(オリンピックのときにだけ柔道や体操などを観る感覚に近いかもしれない)。2022年から視聴し始め、2008年のNON STYLEが優勝した回まで観終えたところだった。

そんな折、連れ合いがNON STYLE石田さんによる書籍『答え合わせ』を買ってきた。石田さんが「漫才論」について語り尽くした一冊らしい。「M-1の前に読んだほうがいい」と勧められたため、前日である今日、一気読みした。

漫才とはそもそも何なのか。どんな漫才が優れているのか。賞レースではどんな基準で点数が決まるのか。2023年の最終決戦組(令和ロマン、ヤーレンズ、さや香)のスタイルとは。笑い飯は何がすごいのか。これまで理解できなかったことが詰まっていて、一気にブレイクスルーした感覚を得た。

中でも目から鱗が落ちたのは、冒頭に書いてあった「漫才の基本は『偶然の立ち話』である」という点。そこからさまざまな方向へ展開されるものの、そもそもは「とある2人がたまたま会ってしゃべり始める」のが漫才らしい。過去のM-1決勝戦についても具体例が散りばめられており、観直していたおかげで記憶が鮮明なまま楽しんで読むことができた。

今は明日が待ち遠しくて仕方ない。フラットな気持ちで漫才を観ること。そして、自分が感じたことをもとに、後日石田さんによる解説で「答え合わせ」をすることが今から楽しみだ。